岐阜県恵那市観光協会笠置支部 カサギにラブな観光案内

蘇原神社例大祭

<蘇原神社と例大祭の由来>

この恵那市笠置山周辺地区は遠い昔、蘇原ノ荘と呼ばれ、天王の森(神社前方に見える丸山のことです)に牛頭天王と白髭大明神を祀ってあったそうです。今から約400年前の慶長17年にそのお社をここに移したものと伝えられています。

また、今から約270年前の延享年間に、毛呂窪の産土の神となったと伝えられています。産土の神とはその土地を領有し守護する神様のことです。

その後、太田の村上神社・栩杭の源神社・西洞の菅原神社を合わせて大祭を行ったとされ、正式に蘇原神社となったのは明治2年のことです。

当時は娯楽のない時代。この村祭りはきっと現代と違う価値観で、心をワクワクさせるものだったのではないでしょうか。

<笹踊り由来>

笹踊りは宮入とも呼ばれ、大勢の踊り子たちが中田倶楽部から神社に向かって、笛や太鼓に合わせて笹を振り踊りながら行列を行います。

大正10年ごろに遠州天竜川方面、現在の静岡県に出稼ぎに行った人が、その土地の人から習い伝えられたことが始まりだと言われています。当時は男衆が浴衣の着流しに稲穂を持って、五穀豊穣を願って踊ったと伝えられております。

踊り振り付けは、稲作の取入れの姿が原型とされており、稲を刈る・担ぐ・脱穀するという形になっております。

男衆の衣装が赤い長襦袢にたすき掛け、カルサンをはいた衣装に変ったのは昭和5年ごろのことだそうです。

昭和30年ごろまでは、約70名の青年団により華やかに舞い踊られておりましたが、現在では民芸保存会が中心となり、小学生・中学生・高校生・そして各自治会の皆さんが協力して、この笹踊りが伝承されております。

行列の中にはおかめやひょっとこのお面を被った者がおり、彼らは列を離れて自由に動き回ります。その笹に触れると一年間病気をしないと言われているのですが、子どもたちは怖くて泣いてしまったり、逃げ回ったりしてしまいます。それをおかめやひょっとこが追いかけ回すという変わった光景が見られたりします。

<剣の舞>

「剣の舞」は恵那市無形民俗文化財に指定されています。

今から約220年前の天命の大飢饉の時代に、この土地に食べ物がなく、疫病が流行し、村人たちはこれは悪霊の仕業だと信じました。そしてこの悪霊を退治しようと神様にお祈りし、おみくじにより一人の若者を選びました。この若者は身を清め、両手に剣を持ち、悪霊を村中くまなく探して回ったのが始まりと伝えられています。その後、様々な変遷がありましたが、村人の安全と五穀豊穣を願う蘇原神社例大祭の「奉納神楽の舞」として伝えられています。

以上が正式に伝わる剣の舞の由来ですが、異説もあります。剣の舞はこの地で激しく行われていた南北朝の戦いを表しており、この地で亡くなった尹良親王の魂を鎮めるために室町時代から続いているお祭りだとか、牛頭天王、つまり荒ぶる神スサノオノミコトをお祀りしているとか、様々な言い伝えがあります。

当地を受け継ぐ独身男性のみにこの舞を舞う権利が与えられており、二本の刀を振りかざす舞は勇壮そのものです。

 

<笠踊り>

笹踊りは昭和の初めから踊り継がれているものです。

石材産業が全盛期のころ、茨城県から出稼ぎに来ていた人が、神社のお祭りに飛び入りで踊ったのが始まりで、これを村の青年たちが習い、昭和7年、東雲橋の竣工式で踊って以来、お祭りの余興として踊り継がれています。腰を深く落としながら踊る下半身の強さと、クルクルと回す花笠で優美さを併せ持つこの踊りは、この地域の若者の強さとしなやかさを表しています。

蘇原神社例大祭

毎年10月第1週日曜日

 

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