岐阜県恵那市観光協会笠置支部 カサギにラブな観光案内

今も残る南朝の祭り

尹良(タダナガ・コレナガ・ユキヨシ)親王信仰

南信州・北三河・北遠江・東美濃地域には「ユキヨシさま」「タダナガさま」を祀る習俗が広く分布しています。旅人の道中安全を護る守護神(=道祖神)であったり、五穀豊穣の農業の神様であったりします。これらは南北朝時代からの風習であるようです。

南北朝時代とは、鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて、京都の南朝と吉野の北朝で二人の天皇・二つの元号が並立し、寺社や武士や貴族の政治的対立を巻き込んで、日本を真っ二つにした争いが繰り広げられた時代のことです。

北朝の中心は足利尊氏から義満の室町政権、南朝側の中心は後醍醐天皇・楠正成・懐良親王・宗良親王・尹良親王などです。

南朝側の主人公、後醍醐天皇は京都相楽郡の「笠置山」で挙兵しましたが、兵力に勝る北朝方に敗れ、天皇の息子たちを全国に配し、戦は日本中の至る所に広がりました。

後醍醐天皇の皇子の一人、征夷大将軍に任ぜられた宗良親王は、伊勢国より陸奥国府(現・福島県伊達市))へ渡ろうとしましたが、座礁により遠江国(静岡県西部)に漂着し、井伊谷の豪族井伊道政のもとに身を寄せました。大河ドラマ「女城主直虎」の井伊谷です。そこで宗良親王と井伊道政の娘との間に生まれたのが尹良親王です。

つまり、尹良親王は後醍醐天皇の孫ということになります。

遠江井伊谷の館で生まれた尹良親王は、父親王の討幕の遺志を継いで左近衛大将・征夷大将軍として東国各地を転戦しました。

三河足助へ向かおうとし、諏訪を発して伊那路に差し掛かった折、待ち受けていた賊徒飯田太郎・駒場小次郎ら200余騎が阻んだため、浪合にてこれと奮戦しましたが、、最期を悟った尹良は子の良王君を従士に託した後、大河原の民家に入って自害したと言われています。墓所は長野県下伊那郡阿智村浪合字宮の原に所在する円墳に治定されており、陪塚3基とともに宮内庁の管理下にあります。

笠置町の尹良親王の墓所

しかしながら、岐阜県の東濃(中津川市・恵那市)の伝説では、親王は浪合で死なず、従士の逸見左衛門九郎朝彬を召し連れ、柿の衣に笈を掛けた山伏姿に身をやつして美濃笠置山の麓の毛呂窪の郷に落ち延び、笠置山内の松王寺で再起を図ったとなっています。大河原で敗残した従士達も集まって農耕をしながら20年余を経ましたが、やがて足利方の知るところとなって敵兵が来襲したため、従士49人が討死し、親王もまた自害したといいます。現在の中津川市蛭川と恵那市笠置町毛呂窪に親王の墓所と伝えられる石塔が残っています。

笠置町毛呂窪では尹良親王のことを「タダナガさま」と呼んでおり、その墓所は「五輪様」と呼ばれ、現在でも毎年4月に神官さんを呼んで丁寧にお祭りが行われています。

↑五輪様

笠脱神社

すぐ近くには「笠脱神社」という神社があります。

「笠脱神社由来」によると、親王が信州の戦に敗れて難を逃れて中仙道大井の地に出でて北方にそびえる笠置山を眺めて、「見かへりて 笠置の山と聞けばこそ 都のことを なに思ふまれ」と詠ぜられ、木曽川を渡り、「濃州 蘇原之荘 安弘見郷 毛鹿母(けろくぼ)村 西洞」へ来て我が笠脱所とされたところから、笠脱神社となったとのことです。

恐らく、後醍醐天皇が決起した京都の笠置山と、恵那の笠置山を重ね合わせて、思うところがあったのでしょう。

笠置町毛呂窪では現在も毎年9月に笠脱神社にてお祭りが行われています。

↑笠脱神社

剣の舞、杵振り祭り

恵那市笠置町毛呂窪の蘇原神社では毎年10月に蘇原神社例大祭が行われています。そこでは恵那市の無形民俗文化財に指定されている「剣の舞」が奉納されます。獅子頭を被った男性が二本の刀を振りながら勇壮に舞います。これは南北朝の争いを表しているとも、祭神である牛頭天王(スサノオノミコト)の荒ぶる様子を表しているとも言われ、五穀豊穣の祈りと合わせて祭られています。

また、中津川市蛭川の安弘見神社の杵振り祭りは、岐阜県指定の重要無形民俗文化財に指定されていおり、毎年4月に行われています。

杵を握る踊り子たち、おかめ、ひょっとこ、鬼、天狗等。大きな花を背負った花馬、神馬。これらが約2kmの道のりを踊り歩き、五穀豊穣を願って安弘見神社に奉納されます。

この杵を振る行為も、元は剣を振る行為を表しているとされ、こちらも南朝の死者を弔う意味合いがあったのかもしれません。

いずれの祭りでも、現在では地元の人たちの中でも「南朝の死者を弔う」というような意識は薄く、どちらかと言うと「五穀豊穣の農業の神様」に変質しているようです。

地元の皆さんに神社やお祭りの由来を聞いても、「よう分からん」「農業の神様や」「タダナガさまという南朝のエライさんが亡くなったそうな」というくらいの認識ですが、小さな祠しか残っていなくても、お祭りを欠かさず行います。自分たちの代でこれをやめて、何かたたりがあったら怖いという思いはあるのかもしれません。

尹良親王に関しては「浪合記」「信濃宮伝」などの文献によるのですが、それらの文献の内容の信憑性が極めて乏しいため、歴史学の立場からは尹良親王の実在性さえ疑問視する意見が多いようです。

しかし、この辺りの地域で合戦が行われ、どなたか高貴なお方も含めて多くの血が流されたことは事実なのでしょう。無念の思いで死んでいった者たちの霊を畏れ、弔うという人々の信仰は、日本人にとっては他のどんな宗教よりも、私たちが気付かない心の奥の奥まで根深く刻まれています。近いところでは靖国神社、昔で言えば出雲大社・奈良の大仏・菅原道真の天満宮なども死者の霊を畏れて建てられたものです。

さすがに現代人である日本人はそのことを忘れて生きていますが、ここ笠置町では今でもそんな風習が続いているのです。

↑蘇原神社 剣の舞

↑安弘見神社 杵振り祭り

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