岐阜県恵那市観光協会笠置支部 カサギにラブな観光案内

恵那市笠置町の名前の由来

恵那市 名前の由来

恵那神社社伝によると、恵那山は「胞衣山」とも書かれ、神代の昔、天照皇大神が誕生した時、恵那山麓の血洗池で出産の穢れを洗い、御胞衣(胎児を包んでいる膜と胎盤)を恵奈嶽に納めたことから恵那山と呼ばれるようになったと言われています。

その恵那山周辺地域、木曽谷から東美濃地域を恵那郡と呼んでいたようです。恵那の名称は明日香村から出土した木簡に677年の年代で「恵奈」の記載が見られます。

いつしかそれが恵那郡と表記が変わり、昭和29年に恵那市が誕生しました。

笠置町 名前の由来

笠置山は恵那市の北部に位置する独立峰で、恵那市で最も高い山です。見る方角によっては、文字通り笠を置いたような、線対称に広がる山裾が特徴的です。この山はもともと舟伏山と呼ばれていましたが、平安時代の中頃、花山天皇(984即位)がこの地方(現中野方町)に来た時に、山の形が都の笠置山に似ていたことから『眺めつつ 笠置の山と名付けしは これも笠置くしるしなりけり』という和歌を詠まれました。それから笠置山と呼ばれるようになったと言われています。笠置町はその笠置山の南麓にあります。

本家の京都市相楽郡笠置山は恵那の笠置山と同じく巨岩がたくさんあります。ある巨岩の上に天武天皇(672即位)が笠を置いたことから「笠置山」と名付けられたとのことです。その京都の笠置山は、南北朝時代に南朝の後醍醐天皇が挙兵した地として有名ですが、恵那の笠置山には、奇しくも後醍醐天皇の孫、尹良(タダナガ・ユキヨシ)親王の墓や、南朝の武士たちの墓があり、今でも大切に祀られています。・・・何だか身分の高い方の名前がたくさん出てきますね。

「笠置村」という名前ができたのは、毛呂窪村・姫栗村・河合村の三村が合併した明治30年でした。実は合併後の名前を決める時「笠置村」という名前は第三希望だったそうです。この一帯は「美濃国蘇原之荘安弘見郷」であったため、村では最初に蘇原村とすることを希望しました(蘇原とは木曽(木蘇)川に由来)。しかし加茂郡に既に蘇原村があったために認められず、次に安弘見村(「安弘見」は笠置山から見下ろして「あ、弘く見える」だとか)を希望したのですが、こちらは安弘見の中心である隣の蛭川村が入ってないことを理由に却下。それで第三希望の「笠置村」になったということです。現在では定着している「笠置」も、明治までは地元の人にとって愛着のない名前だったのかもしれません。そして昭和29年に近隣の2町6村と合併して恵那市ができた時に「笠置町」となりました。

 

 

↑北側からの笠置山(中野方町より)

↑南側からの笠置山

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